四十三庵

蔀の雑記帳

退屈との戦い

就職してから、矢のように時間が過ぎていく。
加齢もあるんだろうけども、やるべきタスクが常に溜まっていて、それをさばく日々になっていることが大きいと思う。
学生時代は一日一日をどうしようか、と考えていたけれど、最近は一週間単位で予定を考えている。

会社では5年目の社員となった。
なんか下が増えてきた。
他部署からの問い合わせの窓口になったり、上司からの案件担当の窓口になったりしている。
景気は相変わらずいい。
想定よりもいい給料をもらえている。
そのあたりはインターネットの匿名ブログではあまり書くこともできず、
「蔀」というアカウントの存在自体が危ぶまれている。

  • 飽き

「飽き」というのは結構怖い感覚だな、と最近思っている。

サラリーマン生活というのは死ぬほど退屈だ。
けれどそこから脱出したときに向き合うのは、自分の実力の無さとか、自分の生まれの悪さとかでしかない。
小学校の6年間があって、中学校の3年間があり、高校の3年間がある。
高校で中退している人もいるかもしれないけれど、それでも高校の雰囲気はわかるだろう。
大学には進学率50%くらいなので、2人の1人くらいが行く。
僕は5年間通った。
そこから会社に4年間通った。

大学に入ってから、この四十三庵というブログを書き始めた。
最初はFC2で、途中からはてなに移行して、今でもここで書いている。
なんやかんやで10周年に近づいている。
大学に入ってからも、僕の人格とか、書く内容というのは変わり続けた。
なんなら会社入ってからも変わったし、これからも多分変わるだろう。
ブログの記事自体は、就職してから内容が薄まり続けて、読んでいる人間に対しては恐縮ではある。
試行錯誤はしているが、学生のときはひとつの記事に平気で一日かけてまとめたりしていた。
その行為自体は、会社入ってからも役立っている気がする。
結局ブログ書くためにやっていたようなことを会社でもやって、それが評価されている感じがする。

個人的な感覚だけども、今の日本社会のやりがいのある仕事は、
「成功した一握りだけが儲かって、そうでなければ’ギリギリの生活でも仕方ない」
という風潮が蔓延しているのが、すごく嫌だなと思うし、
自分は絶対夢を追っているけれど生活はギリギリという層に行きたくない、と思っている。

仕事には完全に飽きているけれど、求められる役割は変わっているので、
完全な同じことの繰り返しにはなっていないため、まったく同じことの繰り返しではない。
それでも退屈であることには変わりない。
恋愛とかもそうだと思うけれど、退屈というのは必ずしも悪いことではない。
安定していれば退屈で、本来安定を目指して何事もやるので、ある意味では成功の証なのだと思う。
社員のやりがいが全然なくても、なぜか大儲けしているのがいい会社なのかもしれない。
夫婦で頑張っている感じもないけれど、なんとなく円満な家庭が築けていればそれが一番いい。
ただ、人間はどうしても、苦しんで掴んだものには価値を見出すけれど、
苦しまずに掴んだ幸福は、「本当にこれでいいんだろうか?」と思うものらしい。

すごい昔に考えていた、「売春婦のジレンマ」という概念があって、それが最近思い浮かぶ。
blog.stm43.com
人間は退屈に耐えられたなら、もっといい人生を歩めるのかもしれないが、
退屈との戦いに勝てず、第二の人生を探したりするのかもしれない。
少なくともリクルートにはナビゲーションされない人生を。
(了)