四十三庵

蔀の雑記帳

「何もかもができるとしたら、あなたは何がしたいですか?」という問いに対する答え

スガシカオの曲にこんな歌詞がある。

生きてゆくために 何をすればいいかなんて
ぼくの父さんだって きっとわかっちゃいないのに
(「ヒットチャートをかけぬけろ」)

お金を稼ぐ方法はたくさんある。
職業は何を選んでも自由だ。
けれど何を選べばいいのかは、誰も教えてくれない。 そもそも誰にもわからない。
未来に何が起こるかなんてわからないからだ。
写真の現像という仕事がなくなるとか、公衆電話が要らなくなるとか、いったい誰がそんな未来を予想できただろうか?
そんな不確実な未来に対して、我々はどうやって生きていくか、職業を選択しなければならない。

※本記事は「第2回 りっすんブログコンテスト」に向けて書いたものです。
詳細は記事末尾を参照ください。

「何もかもができるとしたら、あなたは何がしたいですか?」

日本橋にあった、あるベンチャー企業の社長は、こう質問した。
「何もかもができるとしたら、あなたは何がしたいですか?」
リクルート出身で、自信に満ち溢れた、20代の社長だった。
「えっと、何かもができるって、どういうことですか?」
僕は既に何十社と面接を経験していたけれど、そういう質問をされたのははじめてだった。
「自分が望んだことは何でもできる、っていう意味。能力とか、お金とか、そういう制約は一切考えなくていいとしたら、本当にやりたいことは何かな?」
社長が聞きたいことは理解できた。

僕はそのとき答えられなかった。

やりたいことが答えられない

僕はある私立大学の経済学部を、2013年に卒業する予定だった。
単位は順調に取得していたが、特にサークルにも入っておらず、課外活動に勤しんだわけでもなかった。
文系の学生の就職活動というのは、「志望動機」「自己PR」「学生時代に力を入れたこと」(ガクチカ、と略されるらしい)の3つを400字程度で作文し、
それをいかに面接の場で熱意を持って伝えるかで、就職する会社が決まる。
僕が大学に入ったときがリーマンショックの年だったので、就活に熱心な学生は、
1年生の段階で就職活動を逆算していて、面接のエピソードをつくるべく、サークルを選んだり、公務員試験対策をしたりしていた。
当時の僕は、そういう連中に気持ち悪さを感じていた。

いざ就職活動という段階になると、準備の差は歴然と出た。
履歴書自体は大手企業でも通ったが、面接がとにかく通らなかった。
企業側が何を求めているのかがよく理解できていなかったし、僕自身そこまでコミュニケーション能力が高くなかった。
1日複数社との面接を終えて、その9割以上で落とされた。

前段のベンチャー企業は、twitterで出会った社会人に紹介してもらった会社だった。
(その人は今メルカリで働いているらしい)
実際のところ、その会社は少しうさんくさいところがあって、積極的に入りたいと思えるところではなかった。

後日、面接の結果を伝えるため、カフェか何かで紹介者と会った。
「申し訳ないけど、社長のOKは出ませんでした。僕も推したんだけど、
社長としては、やりたいことが、こう、あって、そのやりたいことに対してウチの会社が合っていて欲しかったみたい」
「……わかりました。ところで、面接で、本当にやりたいことは何か、って聞かれたじゃないですか」
面接の場には、紹介者の彼も同席していた。
「うん」
「あれ、もし聞かれたら、どう答えます?」
「俺なら、小説家になりたい、って言うかな〜」 落ちたこと自体はさほどショックではなかったけれど、社長からの質問に答えられなかったことの方がショックだった。
僕は僕なりに、将来についてきちんと考えて生きてきたつもりだった。
それなのに、二十歳を超えて、自分のやりたいことも答えられない。
なんて情けない男なんだ、と思った。

単なる面接の場のリップサービスではなくて、真剣に考えたけれど、やりたいことは浮かばなかった。

それから紆余曲折あって、僕は4単位残して大学を留年することにして、就職活動をもう1年行った。
インターンに何社か行って、自分の肌に合う仕事を探した。
本やインターネットで調べるだけでなく、実際にやってみるのが大事という判断はよかったと思う。
けれど社会人になった今から思い返すと、新卒向けにやっているインターンの内容は、実際の仕事とは別モノなので、そこは注意しないといけない。
インターンの中で、IT業界と相性がいいことに気づいた。
そして結果としても、ある金融機関の子会社で、システムエンジニア(以下SE) として内定が出た。
SEが本当にやりたかったことか、その会社が本当に入りたかった会社か、と言われると、正直悩むところではあった。
けれど、営業や事務なんてやりたくない、と思うようになっていた。
「俺のやりたいことはこれだ」とまでは強く言えなかったけれど、それなりには納得して就職した。

大手金融機関のIT子会社から見える世界

年間1兆円前後の売上がある会社のシステムというのは、
どんなに高度な技術が使われているんだろう、とワクワクしていたが、
現場に行ってみると、老朽化したシステムをひたすら保守し続ける仕事だった。

最新技術にキャッチアップしないといけない大変さはなかったが、
24時間365日止めてはいけないシステムを運用するという面が大変だった。
SEという仕事に対する愛憎半ばする思いは、下記の記事に書いたので、この記事では少し本線からズレるので、触れないこととする。
SEとエンジニアの間 - 四十三庵

ITの仕事に対するイメージは二極化している。
小学生のなりたい仕事ランキングにソフトウェアエンジニアが入ったそうだが、
小学生がイメージしているエンジニア像はGoogleで働いている、私服で椅子に座ってコーヒー片手にプログラミングしている像であって、
スーツ着て、Excelの仕様書をカタカタ書いている姿ではないだろう。

かつて日本でIT業界のイメージはものすごく悪かったと思う。
劣悪な労働環境、メンタルヘルス、派遣切り、などなど、ブラック企業と呼んでよい会社が特に多かった。
それが変わりつつあるのは、Webやモバイルの分野で巨大な利益を叩き出すIT企業が登場したからだ。
エンジニアの技術力がそのまま利益に直結するビジネスが登場し始めた。

大手企業の社内システムなんかは、正直メインビジネスをやるためのツールでしかない。
現代のITの水準からすると、到底許せないような状態でも、老朽化したシステムを使い続ける選択をする。
参考までに、僕がかつていた会社は、2019年現在も社内全体でWindows7のままだった。
それもこれもすべて、IT自体で稼いでいるわけではないから、発生する状態だ。

ネット上では、SIerとWeb系企業としてよく対比される。
IT業界の光と闇みたいに、Web系とSIerが比べられる。
技術力が評価される世界と、技術力がほとんど評価の対象ではない世界。

自分の知識が増えれば増えるほどに、対岸の世界が眩しく見えてきた。

「どうして既存の仕様を変えようとするんや」

上司から言われたことで印象に残っている言葉がある。
とある案件で新規のシステム間のデータ連携の仕様策定のときだ。
先輩が、ある提案をした。
その方式は、新しい試みにはなるが、データ連携の経路の障害をすぐに検知できるので、いい仕組みだった。
けれど上司陣の反応は芳しくなかった。
色々もっともらしい批判はされたけれど、その中の一つの言葉が印象に残っている。

「どうして既存の仕様を変えようとするんや」
(関西弁の上司だった)
「現行踏襲です、って説明すれば、おおそうか、で通る。
現行を変更しようとすれば、その分説明資料つくって、理解してもらわないといけなくなるやろ?」

結局その案は採用されなかった。

自分のできることとやりたいことの中でベストを選ぶ

やりたいことができていない、と言うのは簡単だ。
会社でやりたいことができている社員なんて、数えるほどしかいなかった。
やりたいことじゃなかったとしても、家族を食わせるために納得して働くのは、サラリーマンとしては間違っていない。
それは「できること」(Can)の中で、会社が望むものを提供していく生き方になる。

僕が就職したときも、そういう気持ちだった。
けれど実際働いてみると、現行踏襲で枯れた技術を使うだけでなくて、
もっと自分や自分の周囲の人が普段使うようなサービスに関わりたくなった。
この気持ちは面接用のリップサービスでもなんでもなく、働いていくうちに思うようになったことだった。
転職活動は、そういう意味では新卒のときよりも楽だった。
嘘をつかなくてよかった。

結果として、モバイルアプリのエンジニアとして転職した。
実務経験がなかったので、書類で相当落とされたし、面接で厳しいことを言われたこともあった。
けれど新卒と比べたら、気持ち的には余裕があった。
新卒のときは、面接に落とされると人格が否定された感じがあったけれど、転職はそんなことはなかった。

できること(Can)とやりたいこと(Wants)が交わる部分がある。
この中で、その時々でベストな選択肢を選び続けるしかないのだと思う。

今の年齢からプロ野球選手になりたいと思っても、それは厳しい。
「できること」ではない。
与えられた現実解の中で、もっともやりたいことを選んでいく。
また数年経ったら、自分のスキルも変わっているし、考えも変わっている。
外部環境も変わってくだろう。

「何もかもができるとしたら、あなたは何がしたいですか?」
という問いに答えられなかった理由が今ならわかる。
リクルート式の就職活動だと、下記のような流れで、志望動機を練る。

もともと学生には夢があった
(例:プロ野球選手になりたかった)

しかしその夢は叶わなかった
(例:高校時代ケガをして野球が続けられなくなった)

その夢を分析して、本質を抜き出す
(例:プロ野球選手になりたかったのは、自分のプレーで周囲の人が感動しているのを見たかったから)

その本質が叶えられる会社を選ぶ
(例:自分の仕事で、お客さんを感動させられる、新築住宅を中心に扱う不動産会社を選んだ)

僕の場合、そもそもの夢がなかった。
何もかもが叶うのであれば、僕は働かないだろう。
そして日本の新卒採用でよく見た、この手の論理展開も無理があると思う。
なぜこんなよくわからない大喜利をしているのかというと、日本の総合職がノースキルで採用活動に臨むからだ。
本来「できること」と「やりたいこと」は切り離して考えるべきではない。
自分が得意なことだから、やっていて楽しくなって、もっとやりたくなるし、
やりたいことだからこそ、勉強もたくさんするので、できることになっていく。
そういう相互関係を無視して、考えるべきではない。

長々書いたけれど、「何もかもができるとしたら、あなたは何がしたいですか?」という問いには、今でも答えられない。
しかし、「今あなたは何がしたいですか?」という問いには、答えられる。
そしてやりたいことができるように、仕事も変えた。

迷いはきっと死ぬまで消えないと思う。
けれど色々な制約の中で、決断を下していかなければいけない。
それはとても難しいことだけれど、よく考えると、大学を選ぶときとか、バイトを選ぶときとか、無意識的にやってきたことでもある。
あとはその決断を、どれだけ考え抜けるか、どれだけ自信を持てるかの勝負だと思う。

かつて子供の頃想像したみたいに、人生のどこかで人生の最終目標を見つけて、
その最終目標に向けて一直線! みたいな感じではなくて、僕の足跡は曲がりくねった、ぐにゃぐにゃの曲線になった。
けれどそのブレはだんだん少なくなっているように思う。
一直線にはならなくても、近いものにはなっていっている気がする。
けしてきれいな人生ではないが、その時々で与えられた選択肢の中で、ベストを選んできた、と思い込むようにした。

もう就活用の言葉を作る必要はない。
「俺のやりたいことはこれだ」という本音だけ持っていればいい。
誰のためでもない、自分のための言葉として。

#「迷い」と「決断」
りっすん×はてなブログ特別お題キャンペーン〜りっすんブログコンテスト2019「迷い」と「決断」〜
Sponsored by イーアイデム (了)