四十三庵

蔀の雑記帳

五十嵐隆はなぜKurt Cobainになれなかったのか?(syrup16g Tour 2019 【SCAM : SPAM】2019/10/05恵比寿ガーデンホール)

まえがき

2019/10/05のSyrup16g(以下シロップ)のライブに行ったので、ライブレポを書きたい。
「五十嵐隆はなぜKurt Cobainになれなかったのか?」というタイトルは、ずっとシロップについて書こうと思っていた記事のタイトルとして温めていたが、
上手くまとまらなくて、ずっと保温中になっていた。

シロップというバンドに対する文章をどう書けばいいかなと考えたとき、
普段このブログで書いている、段組みをある程度構成して、
主張と論拠を明確にして……みたいな書き方はあまりそぐわないような気がしている。
なので、次の段にライブの感想とバンドに対する気持ちをごっちゃにした文を、思い浮かぶままに書いていこうと思う。
多分、まとまりのない長文になる。

五十嵐隆はなぜKurt Cobainになれなかったのか?

これはシロップの問題というよりは僕の問題だけれども、
「1番好きなバンドはなんですか?」と聞かれたときに、上手く答えることができない。
好きなバンドや最近ハマっているバンドだったら答えられる。
1番好き、というのが難しい。
ランキングにしてバンドの好き嫌いを見ていないのかもしれない。
正直、あるバンドに熱狂的に心酔できる人間がうらやましい。
部屋にはそのバンドのポスターだらけで、ライブには全部参加する、みたいな行動が、僕にはできない。
けれど「1番好きなバンド」と聞かれたときに思い浮かべる中に、シロップはぼんやりと浮かび上がる。
全然ジャンルが違うが、黒夢も好きだ。
洋楽でよければNirvana。
3つのバンドの共通点を強いてあげるなら、歌詞が内向的とか、バンドとしてスタイルをしっかり持っていてカッコいいとか、ボーカルにカリスマ性があるとか、
無理やりあげられなくもないけど、全然違うバンドだとは思う。中二病感がある?
ただ正直ベースでやっぱこの3つが好きで、人に上手く説明できる気はあまりしない。
バンドのボーカルに対して、こういう風になりたい、という憧れの対象として、いわば信仰するファンもいると思うけど、
僕はあまりそういう好きになり方はしない。
この人みたいになりたい、という感じではない。
清春なんかは全然タイプ違うし。
Kurtは憧れがあるけれど、ああいう人生を歩もうとは思わない。
2人と比べると、五十嵐は随分感情移入しやすいキャラクターではある。
ロックスター感があまりない。

僕がシロップ聴くようになったのは、高校時代だったと思う。
クラスの女の子が好きって言ってたのに影響されたんだったか、
単純に評判よかったのでいつか聴こうと思っていたんだったか、
どちらがきっかけなのかはわからない。
当時僕は、インターネットの音楽サイトや2ちゃんねるに影響を受けていた。
下記のアルバム全曲レビュースレまとめなんかかなり好きだった。

www10.plala.or.jp

今となっては個人サイトはほとんど閉鎖されたり、ドメイン元のサービスが廃止されたりしていて、見られなくなってしまった。
J-POP CRAZYとかそういうサイトを見ていた。
当時は椿屋四重奏とシロップのボーカルの歌声が似ている、という話題がちょっと盛り上がっていた。
僕の音楽の聴き方は、TSUTAYAで5枚1000円の時期にゴソッとアルバム借りて、
iTunesに入れて聴くだけで、ライブに行くほどアクティブではなかった。
聴き始めたときは、確か「Mouth to Mouse」が最新アルバムだった。
たぶん16歳とかそこら。
当時僕は埼玉県にある私立の進学校に通っていて、周りも真面目で大人しい生徒が多かった。
とにかく退屈だった。
部活もそんなに実績が出せなかったし、勉強も好きじゃなかったし、
友達もいなかったし、彼女もいなかった。
何か大きな目的に向かってコツコツ努力しているタイプでもなかった。
昼休みの時間に音楽が4曲くらい流れるのだが、そのときにシロップの「真空」が流れたときは微妙な空気になった。

ライブに参加する、というのも、それなりの社会適応性がいる。
会場まで電車に乗れるとか、チケットを買って発券できるとか。
内向的な人間にとって、1番辛いのが、ライブ会場で盛り上がらないといけない同調圧力だ。
音楽自体は好きでも、音楽を聴いて盛り上がっている姿を晒したくない、というのがあると思う。
ただそういう羞恥心は、歳をとると薄れていった。
ある程度適応するために訓練した部分もある。

シロップのライブ行こう、と思ったのは、そんなに深い理由はない。
単にナタリーを見ていたら、ライブをやるらしいという記事を見つけて、
行ける場所で演奏するようなので、よっしゃ行ってみよう、と思っただけだ。
シロップのライブのイメージについては、下記の文章が好きだ。

syrup16gのファンの11割は黒髪か金髪のボブで、JOY DIVISIONのTシャツを着てて、ツイッターのプロフィールには病名か、達観してるっぽい一言が記載されている。IDの末尾には高確率で16gがついており、逆に16gとつけておけば高確率でフォローバックされる。つぶやき内容は主に木下理樹の画像、ODの報告、働きたくない、元カレ、首絞めセックス等について、たまに自撮りを上げることもある。THE NOVEMBERSのライブをオフ会として活用。少々バンド経験があり、使用機材はだいたいテレキャスターかジャズマスター。~ロイター調べ

syrup16g darc 最近五十嵐の様子がおかしい - BASEMENT-TIMES

実際会場に行ってみると、別に普通の陰キャの集まりという感じだった。
そもそも外出して、ライブ会場行ったるで! となる時点で、社会適合度は高いので、
インターネットで目立つファン層と乖離が出るのだろう。

ちなみに会場は恵比寿ガーデンホールというところだった。
どこだ? と思ったら、恵比寿ガーデンプレイスの中の建物だった。

僕が行ったときは上流階級の子供のお遊戯会みたいなのがやっていた。
そんなオシャレな会場で、白黒のモノトーンの服装をした人々がホールに吸い込まれていく……
天気も良くて、本当にこんなところでシロップのライブやるのか??? という感じだった。

客層にはあまり統一感がなかったけれど、程度の差はあれ、暗そうな人が多かった。
ライブが始まっても、全員で声を合わせて合唱、みたいなのが発生しなかった。
僕は以前黒夢とColdplayのライブに行ったけれど、そのイメージで行くと全然違った。
壁際で腕組みして聴いている人(地蔵って呼ばれるらしいが)も全然許される空気があった。
そういう意味だと自由がある。
ロックのライブの観客って、「自由に振る舞っていい場所」という割には、
テンプレートがきっちり決まっていて、そのとおりに振る舞わないといけない辛さがある。
そういうのって自由っていうのかな、と昔から思っていた。
純粋に身動きもせずに、音楽聴いてたい、っていう人間は存在が許されない感じがある。
ミュージシャンからすると、客が盛り上がっていないと不安になるのはわかる。
そのあたりは、演奏者と客のコミュニケーションだと思う。

ライブが始まった。
セットリストについては、記事の最後にツイートを引用したので、
気になるならそっちを見てほしい。
1曲目は「生きているよりマシさ」だった。
真っ暗になった会場に、シロップのメンバー3人が青いライトで照らされる。
その瞬間に陰キャの集まりだったフロアが、にわかに宗教的な空間と化す。
五十嵐の内面世界に引きずり込まれていくような、不思議な雰囲気。
内向性の開放、というのは、nirvana以降のバンドのテーマだった。
Twitterのフォロワーから「最近五十嵐声出てないらしいっすよw」と心ない中傷をされていたが、
僕が聴いた限り全然声も出てるし、ギターも安定していた。
(ライブ終盤になると疲労感あったが)
f:id:st43:20191006160516p:plain ステージに立っている五十嵐隆は、引きこもりが突然ステージに立たされているみたいに見えた。
(というか実際そういう状況なんだろうけども)
シロップのライブというか、五十嵐隆名義だけど、「生還」のDVDを見たときも、
ライトで白色や青色や黄色に照らす演出が多かった。
このライトの使い方が、バンドの色なのかもしれない。

ライブというのは、ストーリーがある。
最初暗い曲多くしたら、だんだん明るい曲増やしていって、
最後は「明日から頑張ろうぜ」みたいな気持ちにして終わる、とか。
シロップの場合、内面世界に強く踏み込んでいくバンドなので、
最後に何かしら救済があるのかな、と思っていた。
ただなんか演奏が始まって、そんなストーリーはない、救済はこのライブにはない、と割とすぐに気づいた。
たぶんやりたい曲やって、終わりなんだな、と気づいた。
そういえば、高校時代から好きだったミュージシャンを実際に目の前にした感動、みたいなものは一切なかった。
これはシロップがどうこう、というよりは僕の問題だろう。

2曲目で「赤いカラス」を演奏しはじめたとき、僕は泣いてしまった。
なぜか唐突に犬が吠えるを解散した理由がわかった気がしたからだった。

新メンバー内での自分自身の立ち位置に悩んでいた事や、新しい音楽性を明確に提示出来なかった事、自分のプロジェクトでありながら自分が何もしなくても周りが動いていくというスタイルの制作環境に馴染めなかった

五十嵐隆 - Wikipedia

wikipediaによるとそう書かれている。
要するに、犬が吠えるのときは、バンドをとられてしまったんだと思う。

当時の五十嵐隆は、めちゃくちゃ売れているという訳ではなかったけれど、
業界での評判はかなりよかっただろうし、サポートする人々も優秀で実績のあるメンバーが入ったと思う。
そういうメンバーは概ねアグレッシブで、音楽づくりの経験も厚い。
そういうグイグイくるメンバーの中で、五十嵐は自分のプロジェクトのはずなのに、思っているようなことができない。
自分の曲が色んな人間のアイディアを吸収して、自分のものじゃなくなっていく感覚。
頭の中で思い描いていたものと、出来上がった作品が全然別のものになっていく。
僕も経験がある。
組織で動くとか、集団で動くとかというのは、そういうことだと思う。
そしてそこで自分の意見をどれだけ聞いてもらえるかは、コミュニケーション能力とその人のパワーに依存する。
音楽活動であっても、それは変わらない。
集団の中で立ち回りが上手いとか、積極性があるとか、そういう要素が五十嵐にはない。
そもそも五十嵐は、そんなに音楽能力自体が高い訳ではなかった。
2000年代の若手ロックバンドは、とにかく演奏が上手いバンドがたくさんいたが、シロップはnirvanaに近い存在だった。
演奏自体はけして上手くないが、センスで魅せるタイプ。
だから、とられてしまった。

「赤いカラス」はそんな時期に作られた曲で、本来は犬が吠える名義の曲だった。
けどそれをもうシロップの曲みたいに演奏していた。
犬が吠える自体、結局告知だけして、一切活動をしなかった幻のバンドなので、特に思いはない。
ライブを見ていて思ったが、ドラムの中畑大樹が上手く五十嵐の意見尊重して活動しているのかな、という感じがした。
犬が吠える時代の曲は、普通にいい曲が多い。
結局最後に自分を受け入れてくれる、シロップというバンドがあって、よかったね……という感動だったんだと思う。

当たり前に
月日は流れるだけで
その光の無い輝きも
いずれ闇に堕ちる
一人だけの 夢 夢
永遠は無い 有限 有限
一人だけの 夢 夢
繰り返される 無限 無限

自分の中の音楽を追求しているが、その追求も全身全霊でやっているか? と自問自答すると、
追求しきれていなくて、そんな自分を責めている。
以前の楽曲は、そんな曲が多かった。
ロックスターになりきれなかった自分を責めたり、自嘲したり。
斜に構えても、自分が本当に美しいと思う音楽を創りたい気持ちは、恐らく本心としてあった。
そうこうしているうちに、音楽業界の中心はロックから電子音中心の曲作りに移っていて、
ギターベースドラムという編成も、だんだん時代遅れになっている
海外の音楽なんてもっと顕著で、Ed SheeranのShape Of Youみたいな曲がヒットする。
それでもシロップは、活動し続けていて、技術的には向上していっている。
自分たちが本当に表現したかったものを、より近しく表現できる。
時間はかかったし、大金持ちにもなれなかったけれど、
それはそれで、いいことなんだと思う。
いつか自分たちでも思わなかったような名曲が創れるかもしれないし、創れないかもしれない。
しかし五十嵐隆のクリエイターとしての人生を考えると、今の環境はいいような気がする。

別の世界線として、Rebornがヒットした後、もっと売れ線の曲を出しまくって、
シロップがオリコン上位に入り続けるようなことも、可能だったと思う。
その「売れる可能性」というのが、曲を創る上でどうしても頭をかすめるところはあったと思う。
自分が本当にいいものを創り続けて発表して、よければ売れる、悪ければ売れない、
ただそれだけだ、と考えるのはたやすいが、特有のプレッシャーがある。

今の五十嵐隆は、若手ロックバンドの中の1組でもなく、
シロップ解散後の注目の活動でもなく、
古参ファンがしっかりいて、突然ライブ開けばある程度集客できる。
新しいアルバム出せばある程度売れる。
ミュージシャンとして上を目指すのであれば、完全にダメな、ぬるま湯状態だけれど、
よくよく考えるとSyrup16gというバンド名は

ぬるいままで好きな音楽を好きなだけやろうっていう、そういう意味を込めて…
甘い咳止め用のシロップが俺は大好きで、シロップって言葉が頭の中で快楽的なものと直結して

という理由でつけたらしいので、まさにそのとおりの状況になっている。
演奏している姿を見ても、よくある再結成のロックバンドみたいな、
円熟を迎えた安定感みたいなのは一切なくて、知り合いの若手バンドの演奏を見ているみたいだった。
「新しい曲ばっかやってごめんね」みたいなMCがあったが、最新アルバムの「Hurt」出したのも2014年だから、もう結構前になるんだぞ。

で、突然タイトルの回収について書こうと思うが、
 nirvanaは人気絶頂になって、その人気絶頂の中27歳で自殺した。
伝記読んだけども、元々自殺願望があった上に、
人気絶頂になった後に全国ツアーで移動しまくったのが更に精神衰弱に拍車をかけたように見えた。
Kurtがロックスターにどういうイメージを持っていたのかはわからないが、全国ツアーの移動の激しさは結構辛かったと思う。
その中で曲を作って、新しいアルバムを出さないといけないプレッシャー。
ロックバンドの活動がいつからこんなに決まりきったものになったのかわからないが、

シングル何枚か出す→アルバム出す→全国ツアー

というループをずっと繰り返すのが、暗黙のルールになっている。
音楽活動なんて自由なはずなのに、もう決まりきってしまっている。
音楽活動のラベルがついているだけで、やっていることは出張の多いサラリーマンみたいだ。

nirvanaの大ヒットは、時代の要請というところもあったと思う。
90年代の内向性の追求は、1つのムーブメントだった。
そこにたまたまアンダーグラウンドのnirvanaがスポッとハマった。
nirvanaが巻き起こしたグランジ旋風は、オルタナティブロックの波として今も続いている。
オルタナが何なのかは未だによくわからないが、Radioheadみたいな奴らのことだと思っている。

NirvanaのSmells Like Teen Spiritとか、RadioheadのCreepとか、
そんな曲がシロップにとってあるとすれば、世間的にはRebornなんだろうけど、
Rebornもやたらカバーされて名曲扱いされるが、僕はRebornという曲があまり好きじゃない。
別に嫌いでもないけど、なんでそんな評価されているのかわからない、という方が近い。
ていうかシロップの好きな曲、というのがあまりないことに気づく。
だいたいアルバムを通しで聴いているので、アルバムに対する印象があるだけで、 あまり曲単体に対する思い入れがない。

nirvanaの大ヒット以降、ロックは全然違うジャンルになった。
日本は元々内向的な人間が多い国なので、特にその変化は大きかった気がする。
心の闇を積極的に歌詞にするバンドが増えたと思う。
ビジュアル系が台頭して、廃れて、ロキノン系バンドが台頭して、それが1〜2年で消える若手ロックバンドが粗製乱造される状況になって、
いつの間にかアイドルばっかになって、というのが日本の音楽業界のトレンドだと思う。

ロックバンドの成功像が、複雑で理解しづらい曲を出していたら、
「すごい天才がいる」みたいに才能を世間から見いだされて、
本人は嫌々テレビ出てます、みたいな感じで演奏する、みたいな姿になったのは、nirvana以降だと思う。
けど音楽業界がしぼんでいって、そういうスタイルのバンドはデビューすらできなくなっているのが今だと思う。
レコード会社の訳わかんないおっさんに、
「君ね、ミュージシャンになりたい奴なんて今の世の中たくさんいるの。
けどCDはどんどん売れなくなっていってるの。わかる? こんな曲じゃウチからはデビューさせられないよ」
とか言われちゃうわけだ。
シロップの時期はまだCDの売上が下降線ではあったけれど、まだ今振り返ると売れている段階だった。
デビューして数年は、たぶんシロップもそんな風に売れることを望んでいたと思う。
ただ時代は変わっていたし、そのスタイルで売れてもあまり幸せなことにはならなかったと思う。
「五十嵐隆はなぜKurt Cobainになれなかったのか?」という、僕が勝手に思っている問いは、
そもそも時代が違うから、というのが答えになる。
爆発的に売れて、人気絶頂で自殺すればロック界の伝説になれる、というのは、先人の悪しき知恵だと思っている。
スターになれなくても、生きて曲創って演奏し続けていれば、最悪でも古参のファンくらいは感動させるだろう。

実際僕も長い間シロップの曲を聴いてきたけど、生で聴いたのははじめてだった。
だから、長らく録音された音楽で、曲を聴いていたけれど、
ライブで聴くと、全く違う曲として聴こえて、「本当はこういう曲として表現したかったのか」というのを感じた。
特にHurtに収録されている曲は、地味な曲が多いなと思っていたが、
ライブで聴くと、また別の曲として解釈できて、魅力がわかった。
シロップの曲にはメッセージがあるわけじゃなくて、単に美しいと思うメロディに歌詞を乗っけて曲にしているだけだ。
「人を救いたい」とか「音楽で世界を変えたい」とかも立派だけれど、
五十嵐隆は少なくともそういうミュージシャンではなかった。
音楽が好きで、けれど音楽から逃げて、でも音楽に戻ってきて、というのを何回も繰り返している。
もう音楽が好きなのかも、自分ではわからないのかもしれない。
(「I Hate Music」という曲もある)

暗さや繊細さを売り物にして、商売する方法もある。
シロップはそういう売り方にも逆らってやってきたバンドだと思っている。
鬱バンドみたいに扱われがちだが、生還ライブにせよ自分の暗い部分や引きこもりがちな部分を、
血の滲んだような表現に落とすというよりは、笑い話にするようなユーモアがある。
なぜか僕がnirvanaと比較してしまうのは、スリーピースバンドだとか、色々あるんだと思うが、そういう意味だとやはりスミスとかに近い。

それでも生きて演奏し続けていることは、やはり死んで何もかも放棄するよりも、単純にいいことだと思う。
僕がそう思えるのは、今の自分の置かれている状況がそれなりにいいだけだからかもしれない。
けれど、もっと単純に、生きていることは死ぬことよりもいいことだ、と今は思う。

ライブ会場を出た後、特に救われたとか、すごいものを見た! とか、明日から頑張るぞ! とか、そういう気持ちの変化は特になかった。
ライブ聴いたらすぐ書こうと思っていたライブレポは、家帰ったら眠かったので、1日置くことにした。
気持ちとしては、ライブ行った後というより、美術館行ったような気持ちになった。

案の定、なんか上手く書けなくて、脈絡のない文章になったけれど、
書きたいことは全部書ききったかなと思う。

このブログを若い層が読んでいるかはわからないけれど、
もし好きなミュージシャンがいるのであれば、ライブ会場に行った方がいいと思う。
長年聴いていたミュージシャンですら、生で聴くと全然違う曲になるので、収録されたものだけ聴くのは危険だと思った。

この記事を一言で要約するなら、
「昔から好きだったシロップのライブに行ったらよかったので、五十嵐隆が自殺という手段を選ばずに、音楽活動を続けてくれていてありがとうと思いました」
です。

セットリスト

ちゃんとしたレポートが見たかったら、この方のツイートを追ってください。

シロップ解散から再結成まで

anond.hatelabo.jp

2016年にSyrup16gについて書いた記事

blog.stm43.com
今見ると銀杏のファンをDisり過ぎているように見える。。。
このとき確か峯田和伸に対して、ちょっと怒りがあったので、こういう論調になったんだと思う。
(了)