四十三庵

蔀の雑記帳

小説「Ghost Story」「瞑想」を公開しました

色々変えたんですが、一番大きいところだと遂に小説を公開しました。
順を追って書いていきます。

目次

今後インターネット上の活動は原則蔀(st43/0si43)で行います

去年からやってきた「何かをつくる人になる」というシフトチェンジが完了して、
環境と最低限のスキルが整ったので、早めに成果を出していきたい、というのが今年の僕の目標。

それにあたり、エンジニアアカウントとして作っていたエバグリというアカウント運用が微妙になってきた。

twitter.com qiita.com ※QiitaはID切替済

多重人格的に使い分けていて、それはそれでメリットがあったんだけども、
運営して一年近く立ってくると、人格を使い分けるスイッチングコストみたいなのが大きくなってきた。

たぶんフォロワーからしたら、技術情報と小説・ブログ・ネタツイートなどは分離されていた方がいいので、
分けた判断は正しかった。

けれど今後執筆活動と個人開発を本格化させていくにあたり、
この両者を分離する負担が僕の中でかなりあった。

フォロワーに対しては、普通に「小説もソフトウェアも両方やってる人」として見てもらえれば十分であって、
煩わしければミュートしてもらえれば良いだろう。

インターネット上の活動は全て「蔀」というアカウントに統合する。
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成果は人に紐づく

アカウントを分離する最大のデメリットは、成果が分断されることだと思う。
一方のアカウントで残した成果や発言が、もう一方ではなかったことになる。
2つのアカウントを同じ重みづけで運営した場合、本来自分が持っている半分の能力しか見えないことになる。

今後あまり細かいことは気にせずに、ひたすらアウトプットに集中したいと思っている。
とにかく視野を狭くして、成果を生み出すことだけに集中する、
そして生み出した成果を、他人から評価してもらう。
「いい」とか「悪い」とかいう声をたくさんもらって、
よければそれが実績になっていって、悪ければ改善していく、みたいに進めていくフェーズ。

そういうときに、「えっとこの成果物はこっちのアカウントで……」「あ、でもここはグレーだなどうしよ……」みたいな、
どうでもいい悩みに時間をとられたくなかった。

※たとえばQiitaに書こうとした記事が、技術寄りのポエムで、
 どっちかって言えば個人ブログに書くべき内容だけど、
 四十三庵は技術アカウントと紐づけてないから書けないなあ、みたいなことが結構あった

本名か匿名か

これも迷った。
結局「蔀」という名前で統一することにした。
ただ本名を知っている人間は、蔀というアカウントをたどれる、もしくは必要があれば紹介するようにする。
つまり、

蔀 ← 🙆‍♂️ ← 実名
蔀 → 🙅‍♂️ → 実名
(ただし蔀→実名は危険がなければ開示)

という関係にしたい。

本名でやらない意味はすでにあまりない

Web企業だと、実名顔出しで活動しているエンジニアがたくさんいて、
そういう環境に入ったので、僕も別にその流れに従っても問題がない。

ブログやTwitterも昔はもっと攻撃的だったので、その時期にアンチやヘイターが多少できたことはあったが、
今も執念深くウォッチされている、ということはほとんどない。
ブログは一日200PV切るくらいになったし、Twitterのフォロワーも100人台で、影響力はほとんどない。

懸念されることは、公序良俗に反する発言をしたときに、
会社にカチこまれるリスクとか、住所がわれて嫌がらせを受けるとかか。

全てをさらけ出す、という意味ではそこまでやってもよかったけど、
冷静に考えて、実名であることのメリットもそんなにないだろうと思った。
長い間匿名でインターネット上で活動してきた人が、
実名に移行したパターンを何個か知っているが、結局意味あったか? というと微妙だったように思う。

というわけで、絶対に隠したいわけでもないんですが、
積極的に開示はしない、というスタンスでやっていきます。

カクヨムで小説「Ghost Story」「瞑想」を公開しました

で、掲題の件なんですが、今まで小説を書いてる、書いてると言う割に一切公開してなかったんですが、
ようやく作品を公開しました。
第一歩です。

kakuyomu.jp

長い葛藤

公開に至るまで、長い葛藤があった。
一週間ぐらいずっと悩んでいた。

なぜ今まで公開しなかったか

一言で言えば恥ずかしかったからだ。
別に僕の性格的には、ヘタでも、ひどいものを公開しても、平気だと思う。
完璧主義から来るものではない、と思う。

僕の書いている小説は、自分の内面と深く結びついている。
だからこそ自分にとっては書く意味があるんだけれど、それは同時にすごく人に見せたくない部分でもあった。

新人賞応募という逃げ

小説を書く人にも色々いると思うが、僕は長らく文学系新人賞に送って、結果を待つというのを繰り返していた。

落ちたらどこかで公開すればいいや、と応募するときは思うのだが、
一次選考にも通らずに落とされた小説というのは、公開する勇気が出なくなる。
「こんな自己満足の小説……」「ただの中二病だよなこんなの」「自己陶酔が激しくて気持ち悪い」「面白くない」などなど、
自分で自分の作ったものを否定していた。

そういう思考回路で続けていたら、新人賞を受賞するまで、応募し続けることになる。
ただ新人賞の応募というのは、下読みが読んで、それで特にフィードバックもなく終わる。
半年ぐらい待って、連絡が来なかったことをもって、落選を知ることになる。

5chを見て、今週は電話があるらしい、というのをずっと待つ。
そして落選が確定したら、やっぱ○○社はクソ、みたいなのを繰り返していた。

こうして書いてみると、何をやってるんだろう、と思うが、実際そうだった。

もちろん大手出版社の新人賞をとってデビュー、というのは、王道だし、メリットが大きいと思う。
できればそのルートに乗りたいと思っていたが、このままだと死ぬまで同じこと繰り返すなという感覚があった。

賞レースに乗ることと自分の書きたいものを書くこと

大手出版社のお墨付きが欲しい、自分の書いたものの価値を保証して欲しい、というのは当然ある気持ちだった。
けど出版社もビジネスでやっているので、ビジネスに乗れないものは、
たとえ純文学であっても評価されない。

……いや、なんかそれも違う。
日本の純文学というのは、随分前からなんか変な感じになっていて、
売上至上主義でも芸術至上主義でもない、よくわからない存在になっている。

選考基準もよくわからないし、受賞作を読んでも正直よくわからなくて、
けど偉い選考委員の方々が自信を持って選んだので、これが文学的に価値があるんだ、と自分を納得させるしかない、
みたいな状況になっているというのが正直なところではないだろうか。

賞レースというのは元々理不尽なものだ、それは理解している。
権威に媚びずに、俺はやりたいことをやるぜ、と硬派ぶるつもりもないのだが、
純文学の賞レースについては、もはやよくわからない。

よくわからない、ということは、負けた感覚も得られないということだ。
僕の書いた小説と、受賞作の間で圧倒的な差があって、
「あ、こんなんじゃ俺、小説なんて無理だわ。
俺なんて、ちょっと学校で国語の成績がよかっただけだったんだ。諦めよう」と思わせてくれればそれでいい。
けど、なんかよくわからない。
このままだと俺は負けることもできない。

公開にあたって考えたこと

小説を公開したところで、起きるリアクションは三通りになるだろう。

  • 褒められる
  • 批判される
  • 無視される

公開する、となると、凄まじい批判を浴びて心が折れる、というのを僕はどうしても想像してしまう。
けれど実際公開したところで、ほとんどの反応は無視だろう。

そう考えると、落選作のWeb公開なんてノーリスクハイリターンでしかない。

天才でない自分を認める

じゃあなんでそのノーリスクハイリターンができなかったか。
たぶん天才として文壇? に迎え入れられたかったのだと思う。
「これはすごい!」みたいな感じで登場して、努力なんてしてませんよ、みたいなスカした態度で小説の発表を行いたかった。

Web公開というのは、「天才でない自分を認める」ということでもあったんだと思う。

小説を読んでもらえる場がホントにないし、傑作しか読みたくない

ただ、そんな僕でも、わかってきたことがある。
小説というのが本当に読まれないということだ。
僕自身、働き始めてからは一年に数冊しか読まない。
一般人なら0がほとんどじゃないだろうか。

更に読書家と分類されるような人でも、傑作しか読みたくない、という気持ちがあると思う。
それは僕も読者の立場としてよくわかる。
駄作に関わって、人生の時間をムダにしたくない。

でも、傑作が生まれるのは、ある程度駄作を書いて、
何度か改善するプロセスを経ないと、絶対に傑作なんて生まれない。
就職活動における日本企業の求める学生像が、「床上手の処女」と揶揄されるが、
それに近いものがある、とは思う。

けど日本企業と違って、読者の傑作しか読みたくない気持ちは自然なものだと思う。
このご時世に小説なんてモンを読むんなら、ある程度のクオリティは欲しい。

何が言いたいかと言うと、「読者を得る」というのは、今の時代すごく大変なことである、ということだ。
よくよく考えてみると、プロの作家でも、実際のところ全然読まれてない人というのは相当数いると思う。
しかも肯定的に自分の作品を読んでくれる読者、というのを得るために、どれだけのアンチを抱えていることか。

読まれるための努力をしない限り、世の中が自分を発見してくれるなんてことはないのだ、と気づいた。

公開した二作品について

物理的な意味で公開できる作品という意味では、今数えてみたら七作あった。
全部雑にあるもの全てワンチャンあるかも思考で晒してしまうのもいいけれど、
せっかく恥をしのんで上げるのであれば、自分が本当に好きな作品だけを上げようと思って、二作だけにした。

「瞑想」について

kakuyomu.jp

この作品は2019/10/5にSyru16gのライブに行った後、
翌日に「NHKにようこそ!」のマンガ版を一気読みした後、不意に思いついて書いた小説で、
10月末締め切りの新人賞に向けて、二〜三週間で書き上げました。
はじめて自分の書きたいものをきっちり書けた、という感覚がありました。

そういう短期の過集中モードで書いた小説特有の、冷静になって読むと理解に苦しむ記述が結構あって、
「読者の理解を超えたい」という気持ちが、単に理解できないものになってしまっている感じもしますが、
それを差し引いても好きな作品です。

「Ghost Story」について

kakuyomu.jp

この作品は「瞑想」とは真逆で、めちゃくちゃ苦しんで書きました。
2017/12/10に書き始め、2019/01/22に完成しました。

この時期、生まれてはじめて文章が全然書けなくなって、キツい時期でもありました。
私小説を突き詰めて書こう、というアプローチで書いていますが、
第二章から主人公の目線から見た不登校になった文学部の女子の描写が続く構成にしたんですが、
この第二章がめちゃくちゃ好きです。
(刺さる人がどれだけいるかは分かりませんが……)

まとめ

公開した二作品については、読んで頂けたら幸いです。
今後、ソフトウェアと小説の二本柱で、活動を更に加速させて行きますので、よろしくお願いします。
(了)