四十三庵

蔀の雑記帳

心と体が長期休暇を求めている

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さて。
この一週間は仕事的には谷間だった。
けど久しぶりにメンタル面で強い焦燥感が生じた一週間になった。

仕事で嫌なことがあった、という訳でもなかった。
以前もそうだったが、何か明確な原因がないまま、メンタルが動揺するのは、解決策をうつことが難しいので辛い。

ランニングしてたら左足の踵あたりが痛んで、それが二週間ぐらい続いているとか、
5/18〜22日まで一週間ずっと雨だったとか、そういうものも影響していただろう。
今日(2020/05/24)は晴れたので、朝からメンタルの調子がいい。

自分の心境の整理のために、一つ記事を書いてみたい。

目次

プレイヤーとして

まだ2020年を振り返るには早いけれど、軽く振り返ってみる。
自分で言うのもなんだが、実力がついてきて、成果は出てきた。
2020年に入ってから小説を二本完成させて、個人開発で一つiOSアプリ公開して、仕事でも継続的に成果を出せている。

転職したときの大きな理由の一つに、プレイヤーでいたいという思いがあった。
マネージャーになれば、安定は得られる。
もしかしたら僕も40、50になったとき、そういうポディションになっているかもしれない。
けどそれは結果的になるものであって、
最初からマネージャーを目指すのはおかしい、という感覚がずっとあった。

何らかの活動において、アウトプットがある。
そのアウトプットを最大化するために、チームを組む。組織をつくる。
その集団を有効に動かすために、優秀なマネージャーが必要となる、というのが旧来のマネジメントの考え方だ。

それだけ見ると正しそうだ。
けど実際に僕が働いた感覚だと、
何もわかってないが謎のマネジメント能力とやらを持ったマネージャーと、
スキル不足の兵隊たち(将来のマネジメント層候補でもある)という構図が目の前にあった。

犠牲になるのはアウトプットのクオリティだったが、そんなのはもはや問題ではなかった。

「質なんてビジネスにおいて本質的な問題じゃない」という意見も理解はできる。
けれど何をどう考えても粗悪なソフトウェアを出し続けていれば、
いくら客が「使えればいい」と思っている人間でも、いつか自分が粗悪品を使わされ続けていることに気づく。
本気でどうにもならないくらい時代遅れになったところで、大改革みたいに大鉈がふるわれることになるだろう、と思う。

まあそれは前の会社の話。
結局マネージャーになること前提のキャリアパスが嫌で飛び出して、2019年は試行錯誤しながらよちよち歩いていたが、
2020年も試行錯誤中ではあるが、だんだん当初やりたかったことができつつある。

自分のちょっとした思いつきで、アプリ開発して、Store公開して様子見るとかも、
長年やってみたかったが、それを実行できたのは今年になってようやくだった。
質は理想と比べたら全然低いけれど、過去の自分と比べたら、ずっとまともなモノをつくることができた。

QiitaとTwitterでちょっと宣伝して、その繋がりで数十人ダウンロードされて終わりかな〜と思っていたら、
公開から二週間程度で150ダウンロードまで来た。
予想に反して英語圏のダウンロードが多くて、日本だと10数ダウロードくらいで、他は全部海外。
(英語のアプリ紹介文真面目に書いといてよかったね)

じゃあ焦燥感はなんだったのか

そんな感じで自分の2020年のやっていることを分析すると、そんなに悪い感じじゃない。
いい感じでアウトプット積み重ねられているし、これからも頑張って、で終わりじゃないか?
そう理性ではわかっていても、なんか謎の焦燥感がこの一週間あって、ジリジリする感じがあった。

その正体を自分の中で分析したら、この前の土日でKDPを試したことに行き着いた。

kdp.amazon.co.jp

KDP。
知ってる人は知ってると思うが、一応簡単に解説する。
Kindle Direct Publishingの略で、要はAmazonのKindleを通じて自費出版ができる、というサービス。
日本の出版社で自費出版すると、百万円以上かかるが、KDPは当然コストゼロだ。

ずっとEvernoteで書いていたがやはりしんどいので、以前から小説を書くツールを模索していた。
その中でMacの標準でついているPagesがePub形式(電子書籍の標準フォーマット)で書き出し可能であることに気づいた。
なんだったらAppleのBook Storeであれば、Pagesのメニューバーから即出版ができる。
(この辺のツール模索した話も近々まとめたい)

これはすごい、とまずそこで一つ感動。
その後ePubで書けるんなら、今カクヨムで公開している二つも電子書籍として出せるのでは? と思って、「Ghost Story」をKDPで出版してみた。

ボタン一つで簡単個人出版!→できなかったよ……

いや、結論から言うと、KDPで出すこと自体はできた。
できたけど、ePubの中身がちょっと壊れていて、章を変えると次の章の最終ページに飛ぶと言う状態になっていたので、現在は出版停止にしている。
ちゃんと体裁を整えることができたら、ブログなりTwitterなりで宣伝しようと思う。

Appleのストアに至っては、振込先の銀行口座の登録で詰んだ。

AmazonにしろAppleにしろ、まず英語圏が基本になっている。
「日本語対応」は最低限できていても、「日本対応」までは仕切れていない、という印象だった。

作業記録をつけていたわけじゃないので、どのぐらい時間かかったかは不明だが、
とにかく休日四日(土日×2)ぐらいを消費して、やっとKDPの審査まで行った感じだ。

ひどいUI/UXだった。

KDPはなぜあんな使いづらいのか

Amazonのサイトが、昔はシンプルで圧倒的に使いやすかったが、
肥大化してしまって、めちゃくちゃユーザー体験が悪いのは他も一緒だけれど、KDPは特にヤバい、と思った。

恐らくだけれど、AmazonもKDPにそんなに予算つぎこむつもりもないのだろう。
というか僕が経営者でもそうする。
明らかに個人出版なんて儲からない。
文化に対する慈善事業みたいなもんだ。
一年で一冊売れるか売れないかみたいな本がボリュームゾーンだろう。

その辺の事情もわかるので、KDPが使いづらくても文句を言う訳にはいかない。
サービスを提供してくれているだけでもありがとう、というべきなのだ。

個人出版という体験

電子出版の全体的な体験は最悪だったが、個人出版(の真似事)はクリエィティブで楽しかった。
もう完全に編集とかデザイナーとかのやるような仕事だったけれど、
表紙を考えたり、フォントを考えたり、レイアウトが切れていないか確認したり、ちまちました作業が発生した。

ちまちました事務作業は好きではないし、向いているとは思わない。
けれど、自分が表現したい文学世界というものに対して、どういう表紙であるべきかとか、
どういうフォントを使って、どういう章の並べ方をすべきかを考えるのは、楽しかった。
たとえばだけど、章のタイトル前に「第一章」と書くのか、「1」と書くのか、
「第一話」なのか、「一」なのか、みたいなのを次々試してみて、「これはいいな」「これは違うな……」みたいなのを延々やっていく。

ゲーム実況やってる人が、「編集はめんどくさいけど好き。ずっとやっちゃう。時間があっという間に過ぎていく」みたいなこと言っていて、
個人出版のレイアウトちまちまいじってんのも、それに近い感覚なのかなーと思った。

楽しいは楽しいけど、結局僕だとどれだけ頑張っても素人がレイアウトしました感が拭えなくて、
出版社が出してる本の表紙ってすごいんだなーと思ったりもした。

今までそういう目で見たことなかったけれど、本の表紙の文字って、
コンピューターの標準フォントをそのまま使っていることってまずなくて、
何らかの効果をかけてたり、多くのタイトルはレタリングしている。

標準フォントを使っている場合も、相当気をつけてデザインされていて、
文字の配置、文字サイズのメリハリ、色のコントラストなど、実に細かく配慮されている。
何も考えずに「シンプルイズベストで白背景に黒文字でいいだろ」ぐらいで最初表紙をつくってみたら、尋常じゃないぐらいダサいものが出来上がった。

「こんなダサくなる?!」と思って自分のKindleに入ってる他の本の表紙マジマジと見たが、確かにそんな表紙はなかった。
一見シンプルイズベストでスカスカに見える表紙ほど、ダサくならないようにめちゃくちゃ気をつかってデザインされている。
めっちゃ難しい。

KDPの存在自体は知っていて、すごいなあとは思っていたが、所詮は出しても読まれないだろ、という評価だった。
まあしかしWebで公開するのと比べたら、圧倒的に「本を出している」という感じがして、よかった。

「ePub形式で簡単に本をつくれて、簡単に出版できる」というところまで、もう技術的にはできそうな気がする。
ePubという形式自体が結構扱いづらいし、現状ストアごとに微妙に表示形式が違うので、
いろんな会社が電子書籍ストアをつくっているけれど、本をつくる側の人間としては、
「簡単に出版できる」ところからは程遠い。

簡単に出版できない状況は、ひいては簡単に本をつくれない状況ともつながる。
僕がPagesでつくったePubファイルは、手元のiPadのBooksアプリで読んだ限りはきちんと読めるファイルだったのだが、
KDPで出す過程(ちなみにePub→mobiファイルへの変換をかける)で破壊されてしまった。

こういう煩わしさを、解決するようなソフトウェア開発に携わるのが理想だろな、と思った。

自分でも使うツール

振り返ってみると、今までの僕の仕事はなんだかんだで自分も使うツールをつくってきた。
というか会社入ったら、なるべくその会社のサービスを使うようにしている。
愛社精神というより、自分が使っていないサービスを改善させるモチベーションがないからだ。

僕の親は自分が働いている会社をあまり利用していなくて、悲しかった。
自分でクソだと思っている商品を売る会社で商売するのは、なんか違うと思う。

人によって仕事に対するモチベーションのありかは様々だと思う。
僕の場合、「自分が使うツールを人にも使ってもらう」というスタイルが一番モチベーションにつながるように感じる。
個人開発も、そのモチベーションが結局最後まで自分を走らせた。
そういう意味ではエゴイストなんだと思う。

既に満足できるツールがあるならこだわりなくそれを使うし、ないならつくればいい。

出版 × IT?

僕は就職活動は手広く色々受けた。
けれど出版社というのは一社も受けていない。
(一社も、というと嘘で、本当は文芸社という会社も受けるだけ受けた)
それはいくつかの理由があるけれど、一番大きなところはやはり僕はプレイヤーでいたかった、というところだろう。

「出版したい人を応援するお仕事です!」なんてことがしたいんじゃない。
応援なんかしたくない。

次の一手

もともと漠然と今年の7月にGoogleに応募しようと思っていた。
KindleやGoogle、Appleに入って、そこでソフトウェアエンジニアやれたら理想だろう。
けど現実問題として、僕の実力だと厳しいというのも感じている。
中途半端な英語力、付け焼き刃の技術力、足りない実務経験、足りない学歴……
もうちょい現実的な線だと、はてな/DMM/pixiv/noteあたりを考えている。

2019年の時点では、とにかく「技術力」という形のないものが欲しくて、
そのためにはGoogleを目指して日々勉強してけば間違った方向には行かないだろうと思った。
そこで仕事するだけじゃなくて、競プロやったり、英語やったりした。
これは「東大目指しとけば、仮に東大受からなくても他の大学には受かるでしょ」理論である。

コロナの影響で、Googleの採用は全面停止になったらしく、この7月応募のプランは崩れた。
(と思ってググったら、東京の採用サイトは閉じてないから、海外拠点の話なのか?)

電子書籍ビジネスがしたいと思いながら、それだけではなくて

  • エンジニアドリブンな組織
  • 内製開発
  • 秀逸なUI/UXを提供している
  • (できれば)英語ガッツリ使う
  • 文学に理解がある
  • ビジネスとして成功していて、質の向上にも貢献している
  • 給料も結構もらえる

みたいな要素も欲しい。

ただ冷静に自分のやりたいことを分析すると、現実にそういう会社が存在するのは難しい気もしてしまう。
出版業界というのはどちらかといえばローテク産業であって、ITとの食い合わせは悪いだろう。
どちらかというと目の敵にしているような気もする。
「紙には紙の良さがある!」「リアルな本屋には本との出会いがある!」とか思ってそう。

じゃあWebで、ブログサービスや小説公開サイトみたいなのやれば楽しいかというと、それも少しだけズレている感じがする。

ストックをつくりたい。
時間が過ぎても、流れていかないで残るもの。
残すべき価値がある情報。

現実的にはそんな場所ないのかもしれないし、あったとして僕がそのポディションに最適なのかもわからない。

評価が欲しい

やりたいことの追求、自己実現というのは去年からのテーマだったけど、
ぼちぼち到達地点のイメージは見えてきて、あとはそれをどう実現するかだけだろう。
今もたぶん七割ぐらいはできている感覚があって、それもすごいことだ。
けど残りの三割をなんとかして埋めたい。

プレイヤーとして外に公開できるレベルのアウトプットが出せるようになりました、
ゴールも見えてきました、というところで、この一週間の焦燥感はなんだったんだろう。

たぶん、評価が欲しかった。
やりたいことをやった後で、その結果に対して、まだ自分が思っているような評価が得られていない。
カクヨムで公開している小説は90PVくらいで、個人開発のアプリのダウンロード数は150ぐらい。
「外に公開できるレベルのアウトプット」なので、こんなもんだとは思うけど、
この数字というのは厳然たる自分のアウトプットへの評価だと思う。

実際、妥当だと思う。
「俺はこんなすばらしいモノつくってるのに、不当に評価されてない!」という感覚はない。
けど妥当だろうとなんだろうと、評価されないとさみしい。

ちょうどブログのアクセス数も先週から顕著に低くなっていて、Google検索のヒット率が異常に悪化している。
別にバズることが正義という価値観は持っていないけど、それでも数字がついてこないと悲しくなってしまう。

なぜ急にそんな辛さを感じたのか。
KDPで最悪な手続きを踏みながら、自分のつくっているものの弱さを実感させられたからなのかも。
いや、多分それは確実にある。

僕が2019年に書いた小説は、僕自身が未熟というのはあったにせよ、
たぶん元々メジャー志向がなくて、仮に自分の表現したいものが100%完璧に表現できました、というモノであっても、
たくさんの読者を獲得できるようなモノではなかった。

「わかる人にはわかる」でいいじゃないか、と思っていたけど、
いざ公開してみると、もっと多くの読者が欲しくなる。ソフトウェアももっと多くのユーザーが欲しくなる。
そのためには媚び媚びの何かを入れるというよりも、もっと別の工夫が必要なのを感じた。

久しぶりに逃げることを思った

車走らせている最中に、ふと「もう全部やめて全然別のことしようかな」という考えが頭をもたげた。
「やりたいことやれてる! 楽しい!」という時期から、見えない壁を感じる時期に移行しているのかもしれない。
「やめたい」(小説もプログラミングも)というのは全然強い思いではなくて、ふっと浮かんだ考えだった。
けれどここ一年ぐらいずっと思ってなかったので、自分でビックリした。

明確に職場で全然通用しないので挫折します、というのはわかりやすいストーリーだけど、
中途半端に通用して、けどそれが自分が思ったような圧倒的な感じじゃなかったので、
なんとなーくやめます、というのは過去何回かやったことがある。
何回か? 一回? とにかくやったことがある。
それに近い状況なのかも。

努力し続けるのが辛くて息切れして、それで挫折するぐらいなら、
思い切って一週間でも一ヶ月でも休んでみたらいいと思う。
けど実際のところそこまで僕は疲れていない。

転職してからマイルドな躁状態がずっと続いていて、
久しぶりにネガティブな気持ちになって、そういう逃避を思った。
今までの人生は逃げ道というのは常に思っていた。
部活をやりながら、部活がダメだったら勉強に全力を注ぐ、みたいな。
だからちょっとでも辛かったら、頭の中は逃避先でいっぱいになって、けど一晩寝たら辛さが和らいで、もうちょっとだけ続けて、
みたいな感じだった。

けど今は全然違う。
単に人間として成長したのか、今だけなのか。
いや違うな。
やりたいことやっている限りにおいて、人間に逃げ場なんてなくて、常にそこがメインの道なので、
どれだけ逃げても結局は戻ってこなければいけない、という感じがする。
今まで常に逃げ場つくってきた人間なので、それは精神的に辛いことでもあるのかな。

自分を追いこむ気持ちは全然なくて、急ぎもせず怠けもせずにやっていて、これからもやっていく気持ちだけど、
ぼちぼち休みは入れてもいいかなというのは思った。
せっかくゴールデンウィーク8連休という社会人になってから自分史上最長の連休をとったのに、
全部を個人開発に捧げたので、そろそろ心と体が長期休暇を求めている、のかもしれない。
(了)